2026.08.25
人と人のあいだには、目には見えないものがたくさんある。

Social Layer – The Comfort of Silence
人と人のあいだには、目には見えないものがたくさんある。
言葉や表情、距離感。
育ってきた環境や文化、これまでの経験。
同じ場所にいて、同じものを見ていても、感じていることはきっと違う。
最近、そんな「人と人のあいだ」にあるものについて考えることが多くなった。
近い関係だからといって、すべてを理解できるわけではない。
むしろ、近いからこそ言葉にしないこともある。
何も言わずに一緒にいる時間。
わかっているようで、実はわかっていないこと。
言葉にすると少し違ってしまう感覚。
そういうものに興味がある。
「Social Layer – The Comfort of Silence」は、そんな人と人とのあいだにある層について考えた作品です。
私たちは一人で生きているようでいて、実際にはたくさんの関係の中にいる。
家族、友人、恋人、仕事、社会。
その中で、自分自身も少しずつ変わっていく。
誰かといることで生まれる自分もいれば、一人になったときにしか出てこない自分もいる。
そう考えると、「自分」というものも、一枚のものではないのかもしれない。
いくつもの経験や記憶、人との関係が重なってできている。
Layer。
この言葉を使ったのは、その重なりを意識したからです。
ただ、今回興味を持ったのは、重なっているものだけではありません。
その間にあるものです。
人と人のあいだ。
自分と他者のあいだ。
理解と誤解のあいだ。
そこには、はっきりと名前をつけられないものがある。
私は以前から、境界について作品を作ってきました。
自然と人工。
自分と他者。
日本と海外。
現実と記憶。
でも、最近は境界そのものより、その境界の「あいだ」にあるものの方が気になっています。
境界は、ものを分ける線のように見える。
けれど、その線の上には、どちらにも属さない時間や感情がある。
そこは少し曖昧で、落ち着かない場所でもある。
同時に、自由な場所でもあるように思う。
「The Comfort of Silence」という言葉を付けたのも、沈黙を単純に孤独や距離として捉えたくなかったからです。
何も話さなくてもいい。
無理に説明しなくてもいい。
相手のすべてを理解しなくても、一緒にいられる。
そういう時間には、言葉とは違う安心感がある。
写真を撮るときにも、いつもすべてを説明したいとは思っていない。
写っているものの中に、写っていないものがある。
その余白を見る人が、それぞれの経験で埋めてくれればいいと思っている。
作品を見て「これはこういう意味です」と答えを渡してしまうよりも、
「自分は何を感じたんだろう」
と少し立ち止まってもらえる方が、今の自分にはしっくりくる。
人と人は、完全にはわかり合えない。
たぶん、それは当たり前のことだと思う。
でも、わからないままでも一緒にいられる。
その距離を無理に埋めなくてもいい。
もしかすると、そこにある静けさこそが、人と人との関係を続けていくために必要なものなのかもしれない。
Social Layer。
その見えない層について、もう少し考えてみたいと思っている。